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習志野市ってこんな街

地元の人も再発見・観光にいらっしゃる方のご参考に☆

地元の人も再発見・観光にいらっしゃる方のご参考に☆


習志野市は、千葉県北西部に位置する市です。古くは騎兵連隊・鉄道連隊が置かれなど、軍隊の街として発展してきましたが、現在は人口16万人の東京近郊の文教住宅都市として発展してきています。
そんな街、習志野をあらためて紹介していきます。地元だからこそ、知らなかったこと・・・観光などで訪れる際・・・どうぞ、参考にしてみてください。。。

随時、更新していきます。


習志野 日本初ものがたり ①

習志野 日本初ものがたり ①

「女性飛行士第一号」 「民間航空初の宙返り」

民間航空のパイオニアとして活躍した伊藤音次郎は、1915(大正4)年、「伊藤飛行機研究所」を設立、1918(大正7)年、鷺沼に移り、飛行機の研究や製作に尽くしたほか、多くの飛行士を育てました。
育成した飛行士の中には、女流飛行士第一号の兵頭精(ただし)がおり、大正、昭和時代飛行家という夢に向かって奮闘するヒロインを描いたNHK朝の連続テレビ小説「雲のじゅうたん」のモデルにもなりました。飛行大会などでは、彼女を一目見ようと会場が満員になったそうです。
また、伊藤音次郎の一番弟子であった山縣豊太郎は、民間初の宙返り飛行を成功させるなど天才飛行士として絶賛されていましたが、連続3回宙返りの際に翼が折れて、鷺沼の畑に墜落死してしまいます。現在その場所には「山縣飛行士の殉空の地」の石碑が建っており、広島市東区の鶴羽神社には山縣の記念像があります。

ちなみに、1912年 奈良原三次が、稲毛海岸に日本初の民間飛行場を開設しました。

習志野 日本初ものがたり ②

習志野 日本初ものがたり ②

「読売巨人軍発祥の地」

谷津公園内、バラ園の入口脇にある読売巨人軍の発祥を記念したもの。1934(昭和9)年、アメリカ大リーグのオールスターチームと名選手ベーブルースが来日したとき、当時まだプロ球団がなかった日本で、6大学から選手を選抜して全日本チームを編集し、両チームの練習場となったのが旧谷津遊園内にあった谷津球場でした。この選抜メンバーが巨人軍の創設メンバーとなり、日本初のプロ野球チームが誕生しました。

記念碑までのアクセスは、
京成電鉄谷津駅から徒歩5分
JR総武線津田沼駅から(京成バス)谷津干潟行き「谷津南」下車徒歩3分です。



ソーセージ発祥の地 習志野

ソーセージ発祥の地 習志野

日本食肉加工協会では、習志野を「ソーセージ発祥の地」としているのをご存知ですか?まさか、本当に?という方がほとんどだと思います。

今をさかのぼる事、86年前(大正4年、1915年)浅草本願寺を出発したドイツ兵の一行は早朝、津田沼駅に到着し、東習志野に出来た新しい収容所までドイツ軍軍歌を合唱しながら行進していきました。

時は、第一次世界大戦。日本軍は、ドイツ領だった南洋諸島の占領を始め、大正3年11月、中国・山東省の青島(チンタオ)ではドイツ軍は白旗を掲げたのです。その時のドイツ将兵が捕虜として日本に送られてきたのです。

習志野俘虜収容所でのドイツ兵の生活は、労役、労働、文化活動、スポーツ、と多岐に渡りました。また、鉄条網の中に閉じ込められていたのではなく、周辺住民との交流もあったようです。

そんな収容所の中ではどんな食事をしていたんでしょう。当時のメニューを見ると、驚くことに、純ドイツ料理が並び、バナナ・アイスクリームという記録もあったそうです。そして、ドイツといえば「ソーセージ」。収容所の中で、ドイツ兵がソーセージを製造していたそうです。

大正6年、栄養の向上に資する食品としてソーセージに注目していた農商務省は習志野収容所でドイツ兵がソーセージを製造している事を知り、早速習志野収容所を訪問したそうです。

当時の習志野収容所長は、西郷隆盛の子、西郷寅太郎大佐。「西南ノ役」で敗れた西郷家にあり、戦争の悲惨さと敗れた者の辛さは身をもって知っていたのでしょう。また彼は、ドイツの士官学校に留学した経験もあり、ドイツに深い理解があり、日頃からドイツ兵に温情を持って接していたようです。

ソーセージの製法を教えて欲しい、と頼んでも最初はマイスターの秘伝を公開することにはためらいがあったようです。しかし、普段から温情をかけてくれる西郷所長の説得とあれば、それに応えなくては、と考えたのではないでしょうか。

カール・ヤーンさん、ブッチングハウスさん、ヴァン・ホーテンさん、ケテルさん、そして氏名不詳の方の計五名により、ソーセージの技術が記録され、全国の食肉加工業者へと伝えられていったのです。

大正8年、ベルサイユ講和条約が発効し、ドイツ兵は再び自由の身となって祖国に帰る事になりました。しかし、そのまま日本に留まった人もいたのです。

大久保の紅谷商店さんでは、ドイツ兵にハム・ソーセージやマヨネーズ、石鹸の製法を教わったそうです。ブッチングハウスさんから習った茅ヶ崎の矢崎ハムさん。ヴァン・ホーテンさんは明治屋へ、と日本の歴史に残る方々が習志野収容所にいたのです。

習志野青年会議所では、当時のレシピにて、ソーセージを復刻しています。
各種イベントでみかけましたら、どうぞご賞味ください♪
写真は、そのひとコマです(*^。^*)